----- とかく、アコースティック・ギターを持つシンガーソングライターというのは、たいていコードをかき鳴らしてウワーッと自分の思いの丈を歌うといったタイプの人が多いですけれども、中村まりさんの場合はまるでそういうアプローチではなく、音楽を奏でているということが非常に興味深いのですが。
自分の表現したかったことというのが、もうちょっと複雑だったんですね。コードをかき鳴らすだけでは出せない音階であったりとか、ちょっとしたオブリガードで歌の合間に自分で装飾をつけたいと考えたんでしょうね。それと、バンドと一緒に演奏するときでも、ただコードを弾いて、けどバンドにとって何の足しにもならないような、鳴っていても鳴っていなくても同じみたいな、そういう扱いになるのが嫌だったんです。アコースティック・ギターっていうのはどうしても音を大きく出すのが難しい楽器なので、主張する時にかき鳴らしているだけだと、バンドの中では敬遠されるというか、やはり表現出来る範囲が限られていますよね。だから自分も音楽的に関わりたい、歌だけではなくてサウンドづくりの面でちゃんと関わりたいというのがありました。
----- 今のギター・スタイルは、具体的にはどのようにして形づくられていったのでしょうか?
んー・・・、そういう音楽的なスタイルを求めて模索していた時期に、ステファン・グロスマン(※注)の教則ビデオに出会ったことが大きかったですね。実はその時までにクラシック・ギターの経験はあったので、スリー・フィンガーで弾くってことはまったく苦ではなく、普通だったんですけど、そのスリー・フィンガーをどう使うか?という課題はありまして、そこでステファン・グロスマン先生のビデオを観た時に、<あ、カントリー・ブルースという形で(スリー・フィンガーを)使えばいいんだな>って思ったんです。
----- しかし、ステファン・グロスマンの映像解説観てギターの技術を習得していくって、実際やってみると、かなり忍耐が必要ですよねぇ?
要りますよね、たしかに。ブンチク♪ブンチク♪って親指でベース音鳴らしながら、上の3弦なり4弦でメロディーを入れていくものだっていうカントリー・ブルース・ギターの概念が、私にとってはまず大きな衝撃でした。確かに解説どおりに音を追ってくのは難しいんですけど、ブンチク♪ブンチク♪の感じに、ちょっとずつでもメロディーが乗っていけば、別にそれほど上手く弾けなくてもサマになるんです。だからそんなにつらいと思わずやっていったんですけど、とにかく独りで歌いながら弾ける奏法だっていうカントリー・ブルースの世界観が好きだったんですよ。そしてそれが、そのとき自分がやるべきことのように思えたので、特に考え込まずにやってましたね。
-----(その奏法で)イケる!って思えた最初の曲は何だったんですか?
何だったんですかねぇ・・・。よく覚えてないんですけど、おそらくそのとき持っていたステファン・グロスマンのビデオに入ってて、最初に解説していた曲なんでしょうね。「コケイン・ブルース」とかそういう簡単な、キーがCとかGのものだったと思います。実は私もあのビデオ、最後までやりきってなくて、途中でほっぽり出しちゃったんですよね。なので自分でも全然、ギター的に何かをマスターしたとは思っていませんが、その“心意気”は学んだような気がします。
※注:STEFAN GROSSMAN / ステファン・グロスマン
1945年生まれ。ニューヨーク出身。'60年代からイーヴン・ダズン・ジャグ・バンドやソロとして活躍。NYフォークブームの中、多くのアルバム、教則本をリリースし、カントリー・ブルースの再発見、紹介者として大いに功績ある人物。
※中村まりさんが出演する【霞町音楽会 第4回】についてはこちら。チケットも発売中!
第3回 「----- ちなみに・・・、今何を聴いてます?」 こちらから
第5回「----- ところで、今後の音楽活動の構想の中に<日本語で歌う>というのはありますか?」こちらから第4回「 でもキミ、インディゴ・ガールズは、こういうギターを弾いていると思うよ。教えてくれた楽器屋のおじさんに私の作品を聴いてほしい」 こちらから |
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