第3回 「----- ちなみに・・・、今何を聴いてます?」

----- ちなみに・・・、今何を聴いてます?

つい最近、クリスマス関係の曲を演るっていうライブをやり終えたばかりなので、クリスマス関連の音源をたくさん聴いてましたね。ピート・シーガー、マイク・シーガーのお母さん、ルース・クロフォード=シーガーが採集した、アメリカで伝わっている地方のクリスマスソングを集めた音源を聴いていました。すごくかわいらしい、いい曲ばっかりで、地元の子供たちと自分の娘たちと歌ったりしているものですね。あとはやはりフォーク系の、オールド・タイムの音源ですね、よく聴くのは。

----- アメリカのトラディショナル・ミュージック、オールド・タイム・ミュージックがお好きだというのは、アメリカに行っていらっしゃったことと深い関係があります?

たぶん、あると思いますね。

----- もしアメリカに行ってなかったら、聴いていないかもしれない?

でも、それがわからないんですよね。最近思うんですけど、小さかった頃自分の周りで目に入ってくるものって、割と19世紀くらいのアメリカを描いたものが多かったような気がするんですよね。例えば、『トムソーヤの冒険』とか『大草原の小さな家』とか、これはカナダのものですけど『赤毛のアン』ですとか、そういったものを良くテレビ放映していたのを観ていました。今より子供の頃の方が、アメリカ文化が日常の中にもうちょっとあったような気がしますね。あとは自分が遊んでいたお人形がシルバニア・ファミリーだったりとか・・・・・シルバニア・ファミリーってアパラチア地方が舞台になってるんですけど・・・・・そのアパラチアが私の好きなオールド・タイム・ミュージックの発祥の地なんですが、シルバニア・ファミリーの舞台がアパラチア!?と大人になってから知ってビックリして(笑)。だからそういうアメリカ調家具のミニチュア集めて人形で遊んでたりとか、母親がパッチワークやっていたりとか、小さいことが積み重なって自分の音楽趣味とむすびついているんじゃないかって気がしています。

----- ご両親やご兄妹がアメリカの古い音楽が好きで、家では常にそういう音楽が流れてた、みたいなのはないんですね。

この音楽に関してはないですね。ただ、姉がピアノの専門で、常に家ではクラシック・ピアノを練習している人がいたっていう状況はあったんですけど、アメリカの古い音楽が家でかかるようなことはありませんでしたね。だから、ブルーグラスっていう楽しい音楽があるってことに気づくまでに何年もかかったのがすっごく悔しい(笑)。

----- カントリー・ブルースを始めて、だけど影響を受けたのはブルースだけではなかったんですね。

そうですね。ブルースっていうよりも、アメリカの古い音楽、そしてアコースティックであるということがすごく重要でして、ブルースでもエレクトリック化され、シティ化されていくにつれ、だいぶ興味が薄れてしまうところがありますね。時代も古ければ古いほど興味が湧いてくるというか。やっぱり田舎の音楽っていうのが惹かれるポイントなんですよね。楽しみのために演ってて、きっと自分たちの気持ちを慰めるためにやってたんだろうなっていう。そういう素朴な、あたたかい部分に惹かれますね。

----- 例えば、カバーする曲を選ぶ時もそういった素朴な、あたたかい歌詞の内容のものを意識的に選びますか? 

他人の曲を歌うときは、音楽的な楽しみの要素が強いかもしれないですね。自分の曲を歌うときは、もうちょっとなんかこう、なんていうんだろう、慰めに近いというか祈りに近いといいますか、単に何かを発表をしたいっていうんじゃなくて、<時代を超えていつ誰が聴いてくれても、もしかしたら共感してくれるんじゃないか>っていうようなところを大切にしたいと思っています。

-----カバーする曲の選び方ってありますか?

私は、結構楽しいメロディーが好きでして、メロディアスな曲には目がないですね。次に歌詞を調べてみて、自分が歌えそうかな、ということは最近よく考えるようにしていますね。ライブで1回限りで歌うのとは違って、レコーディングする楽曲の場合にはどうしても言葉に対する責任が重めになってきますし、ロンサム・ストリングスと一緒にアルバムつくったときは、わりと歌詞の部分で、自分の中でブレのないものを選びましたね。

----- 例えば、長年演ろうと思っていて、けどまだ実現していないカバー曲なんて、あります? 

あー・・・、あります。ありますと言ったら演らなきゃならなくなっちゃいますけど(笑)。あのう・・・ゲイリー・デイヴィス(※注)という、ステファン・グロスマン先生のお師匠さんといわれている人で、その方が弾くギターがすごくて、ああいうギターをいつか弾けるようになりたいなと常に思ってはいます。実は一回カバーしてみようと思ってやりかけていたんですけど、ほっぽっといたままになっていますね、そういえば(笑)。

※注:Gary Davis / レヴァランド・ゲイリー・デイヴィス
生後間もなく医者が目に入れた薬により失明するも幼い頃からギターを弾き、南部を廻って街頭で演奏。15歳の頃から、サウス・カロライナのグリーンヴィルでウィリー・ウォーカーの影響を受け、一緒にストリング・バンドでプレイしてギターの腕に磨きをかけた。1920年代には ノース・カロライナ州のダラムという街の通りで演奏して稼ぐようになる。初録音は1935年の セッションでブルース数曲を演奏し録音するも、その後はもっぱら宗教歌だけを歌うようになった。1937年に聖職者の尊称“レヴァランド”をつけ、レヴァランド・ゲイリー・デイヴィスに改名。1944年にニューヨークに移り、ハーレムの路上で演奏。60年代のブルース・ブームの到来で、再発見という形で取り上げられるようになり、その後1972年死の直前まで演奏活動を続けた。フィンガー・ ピッキングで信じがたいベース・ランをプレイし、あらゆるキーで独自の奏法を築き上げた彼は、まさに真のギターの達人。ブラインド・ボーイ・フラーやブラウニー・マギーといったブルースマンだけでなく、タジ・マハール、ボブ・ディラン、ライ・クーダー、ステファン・グロスマンなどあらゆるジャンルで多くのフォローワーが存在する。

〔まだまだつづきます!〕
※中村まりさんが出演する【霞町音楽会 第4回】についてはこちら

第1回 「自分の表現したかったことがコードをかき鳴らすだけでは出せない」 こちらから
第2回 「歌うということに関しては、まず高校生の頃に<歌ってみたいな>という」 こちらから
第4回「 でもキミ、インディゴ・ガールズは、こういうギターを弾いていると思うよ。教えてくれた楽器屋のおじさんに私の作品を聴いてほしい」 こちらから
第5回「----- ところで、今後の音楽活動の構想の中に<日本語で歌う>というのはありますか?」こちらから
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