たぶん・・・、2006年か2007年頃手に入れたと思うので、ここ5〜6年くらいですね。
----- 使用ギターの変遷といいますか、000-18にいきつくまでに何本かあったと思うのですが。
そうですね、この1本前がマーティンの中でも比較的安く買える、学生時代に買ったD-1というモデルで、しかもバンドの中で演奏することに対応しなきゃいけないと思っていたので、エレクトリック化されているもので、さらに何故かカッタウェイがついているモデルだったんですけど、それをしばらく使ってました。最初の自主制作盤と1stアルバムまではそのギターで録りましたね。さらにその前はヤマハのエレ・アコだったりアコースティック・ギターを使ったりしていましたね。
----- 最初に買ったアコースティック・ギターはどんなものでした?
一番最初のギターもヤマハのもので、アメリカの中古楽器屋さんで3万円〜4万円くらいで買ったんですけど、そう!その楽器屋のおじさんがすごく良い人だったんです!今にして思えば、そのおじさんのひとことがなかったら、多分私はアコースティック・ギターを買ってないんですよ。
----- っということは現在の中村まりさんを産んだ恩人かもしれない。それはすごい話じゃないですか!
とにかくその頃、私はインディゴ・ガールズ(※注)が好きで、インディゴ・ガールズみたいな音楽を演りたいって思ってたんですよ。でも一番最初のギターはクラシック・ギターだったので、クラシック・ギターの音じゃないな、ということは薄々感じていたので、とにかくインディゴガールズみたいなスチール弦のアコースティック・ギターを買おうと思って、その中古楽器屋さんに行ったんですよ。
----- ちなみにどこの楽器屋さんです?
たぶんふつうの、当時住んでいた街のモールに入っていた、何の変哲もない楽器屋だったと思います。で、多分ちょうどいい値段、日本円で3万くらいの一番安いギターを弾かせてもらったんですね。するとナイロン弦の、それまで持っていたクラシック・ギターと比べて弦と弦の間隔が狭いわけですよね、それにまず衝撃を受けて・・・。これじゃあ指が入らないじゃないかと(笑)。こんな指が入らないギターは弾けないじゃないかって焦ったんですよ。それで、これは無理かもな、と。
----- あ、インディゴ・ガールズ無理かもなぁ、と。
そう(笑)。そしたらそんな私の様子を見ていたお店のおじさんが、「でもキミ、インディゴ・ガールズは、こういうギターを弾いていると思うよ。」って言ってくれて。
それで、やっぱりそうなんだ!これに慣れなきゃ仕方ないんだと思い直して、買ったんですよね。だからそのおじさんの一言がなかったら、アコースティック・ギターは買ってなかったですよね。
今にして思えば、まだ何もわかってない子に対して、それ以上のことは言わないで、ただ一言教えてくれたのが良かったなぁって思って。
----- そのおじさんに、中村さんの今の作品、聴かせてあげたいですね。
そうですね、聴いて欲しいですね。ほんっと、そのおじさんってキッカケだなぁ。あと、アメリカでは私、ギター・アンサンブルというクラブに入っていたんですけど、その先生も重要なキッカケとなる人ですね。その先生にインディゴ・ガールズや当時アンプラグドをリリースしたばかりのエリック・クラプトンなど、いろいろ教えてもらいました。そういう、ルーツ・ミュージックに通じうる人たちを教えてくださいましたね。
※注:Indigo Girls / インディゴ・ガールズ
ジョージア州出身のエミリー・レイとエミリー・セイリアーズによるデュオ。1985年に自主制作アルバムを発表し、活動が評判になり1988年Epic Recordsと契約。1989年アルバム『Indigo Girls』でデビューし、これが全米22位、50万枚を超える売り上げを記録。グラミー賞のフォーク部門を受賞するなど、好評を博した。
〔次が最後です。お楽しみに!〕
※中村まりさんが出演する【霞町音楽会 第4回】についてはこちら
第1回「自分の表現したかったことがコードをかき鳴らすだけでは出せない」 こちらから 第2回「歌うということに関しては、まず高校生の頃に<歌ってみたいな>という」 こちらから 第3回「----- ちなみに・・・、今何を聴いてます?」 こちらから |
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